心の軌道修正

  • 2017.04.28 Friday
  • 09:13

 

自然はいつも人を楽しませ、勇気づけ、

寄り添い、癒そうとしてくれているのに、

人の目には映っても、心には映ってない。

 

もうすぐ5月。

新年度から1ヶ月ほど経ち、ゴールデンウィークが

はじまろうとしています。

 

5月病になりそうな方、

自然の眼差しに目を向け、心の軌道修正してみてはいかがでしょう。

 

 

 椋鳩十の本 第二十三巻 歳時記

  郵便小包の軌道(昭和37年)より

 

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 どうも、一つの職を持っていると、とくに、時間ぎめの通勤と言うような仕事を

持っていると、ややともすると、その生活が、郵便の小包のようになってしまうと

言うことです。

 

 同じ時間に、家を出て、職場につき、職場から、同じ道を通って、家に帰る。

 

 何やかやと仕事に追いかけられて、同じ道をあるきながらも、そんなことが

頭にうかび、街路樹の青葉や、屋敷の庭の花が、目にうつるのだけれど、心の中

には、しみ込んで来ないのです。

 

 節度もなく、同じ考えで頭がいっぱい。ところが、おかしなもので、同じことを、

同じ角度からのみ眺め考えていると、問題は一向に、新進しないのです。深みに

はいって行かないのです。

 

 ひたむきのように見えながら、しかし、狭い軌道を円を描いて、その問題点の

まわりを、ぐるぐる廻っていると言う場合が多いようです。

 

 こうなると、自分の考えている計画や、問題は、何か、こう、雑事のようなものに

なってしまって、色つやがなくなってしまうものです。

 

 生活が、こんな具合に、郵便の小包のようになってしまっては、いかぬ、いかぬと

考えながら、私のような凡人は、反省するゆとりもなくなって、習慣性の波に

押しながされてしまって、軌道の上を、ぐるり、ぐるり、と廻るだけになって

しまいがちです。

 

 したがって、花の咲いていることも、麦の青穂が出たことも、目には映るのだろう

けれど、一向に、心には映らないのです。

 

 季節感なんていうものも、いつの間にか、感じなくなっているのです。

 

 精神の奥の方が、色あせてしまっているのです。その事を別に、自分自身で、

感じない位に、ひどく、心が色あせて、不感性になってしまっているのです。

 

 それと同時に、「ああ、もう、新茶の出る、初夏の頃になったのかなあ」と、久しく

忘れていた、季節感をしみじみした気持ちでとりかえしたのです。

 

 そう言えば、毎日見ていながら、気にもとめなかった庭の青葉が、目に沁(し)みる

ほど青く、五月らしい色彩で輝いているのです。初夏という、爽快な季節感が、音たてて、

流れ込み、五月の風物の中に、私を、ひたし込んでしまったのです。

 

 ほんの、それは、五分か十分の短い間でしたが、私を先ほどまでの、狭い生活の軌道から

解放してしまったのです。こんなささいな事が、おかしなもので、色あせた私の心に、また

あらたな精気をふきこんだのです。

 

 何か知ら、私の心の奥の方に、明るい穂脳が、ほうほうと燃えているように思われるのでした。

 

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飯島さんが駅前にたくさんの花を植えた理由は、

人の心を確認するためだったと思います。

 

当時その心を真に理解する人もいなければ、

通勤通学で駅に急ぐ人波の中、花壇に咲き誇る花の美しさに気づく人も

ほとんどと言ってよいほどいませんでした。

 

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