福島いわき 新しい希望の時代をひらく交流会 報告

  • 2017.07.04 Tuesday
  • 14:15

 

 7月2日に福島のいわきで、新しい希望の時代をひらく交流会という

イベントを行いました。

 

http://tenemos.jugem.jp/?day=20170623

 

 今、この時期だからこそ、必要だと思って企画したのですが、

地元の方で自発的に参加された方は皆無でした。

福島の方は、今更原発・除染なんて・・そっとしておいてほしいと

思っていらっしゃる方が多いということがわかりました。

 それを思うと、また、心が痛みました。

 

 でも、本当に地に足のついた素晴らしい内容の会でした。

Youtubeで動画を更新していきたいと思っていますが、

まずは南相馬市の同慶寺の田中徳雲住職の動画です。

 動画の下には、全部ではありませんが、

文字おこししたものも載せています。

 

 すべての問題の原因は、差別の心だ・・

田中住職の言葉にとても共感します。

 

 原発事故の後、家族がばらばらになって、今でも

苦悩している方がたくさんいることがわかりました。

 

だからこそ、

 

原発事故さえなかったら・・という気持ちを切り替えて、

原発事故があったから、差別の心のない、すべてが

兄弟姉妹と思える社会をみんなで作っていきたいと思いました。

 

 震災後、継続して除塩・除染活動を行っている三由工業廣田社長、

地エネ組 大塚尚幹代表の発表も、地道ですが、だからこそ

明るい未来を作っていけるというような、素晴らしい内容でした。

私は、ペットボトルで作る空気活性機や焼塩も、なぜ、よいのかという

理由を説明しました。どんな有害なものも、自分で変化させることができる。

その考え方が大事ということを、皆さんが理解しようとしてくださっているように

感じました。

 

 参加された地元の方から、次は人を集めるので、また開催してください。

と言われました。

 私は、地元の方から次につながるその一言を聞いただけで、

イベントを行ってよかったと思えました。

 

 本当にありがとうございました。

 

 

お坊さんになったきっかけから・・

 

修行中の生活は、およそ800年前に決められたカリキュラムがある。

それに則った生活をするが、なんてことない。

朝早く起きて夜早く寝る。

日常生活のひとつひとつのことを丁寧に心を込めてやっていく。

そうすると、目から鱗。

極端な話、糞尿も粗末にしない。リサイクル。

自然のエネルギーになるべくかえす。

そういう生活を5年ほど過ごして、小高のお寺に入った。

 

修行をおえ、生活がもろいことに気づいた。

電気が止まったら電気が止まったら、生活していけない。

冷蔵庫のものがくさる。

食べ物を作る術を知らない。

だから、まず食べ物を作ることからやっていこう。と思った。

衣食住を取り戻したいと思った。

でも着るものを作るのはハードルたかい。

家を作るのもハードルたかい。

 

だから一番はじめは食べ物。

そういう生活にシフトした。

知らないことが多すぎることに気づいた。

 

種の問題にも気づいた。

昔は収穫したもので一番いいものは食べないでとっておいた。

次の世代を担う種として・・

今売られている種は品種改良していて、実った種を翌年植えても同じものならない。

そういうものをわれわれは食べている。だから命の力が弱い。

少しづつ、生活を、生きる力を取り戻そうとやっているさなかに原発事故がおきた。

 

たまたま、原発が近くにあるのにあまりに知らなさすぎるからと原発について

勉強していた。

たまたま震災の半年前に勉強会で

原発自体は非常に堅固なつくりだが、冷却ができなくなると致命的ということを、

外国の先生から教えてもらっていて、そのことを鮮明に覚えていた。

 

震災の時、寺のある小高は全部停電して、15メートルくらいの津波、4キロくらい

海の水が入ってきた。

 

ツイッターだけで情報を知ることができた。

アマチュア無線をされている茨城の方のツイッターで、

東京電力福島第一原発が冷却が不能になっていると知って、ぴんときた。

 

地震後、約1時間くらいたってから、自転車で海に向かって状況を見に行った。

天地がひっくりかえり、岡が海になっていた。

その光景をみているので、原発を作業員さんが復旧するために、

緊急招集がかかっても作業員さんは、たどりつけないとわかった。

 

冷却が不能になったら、原発が24時間で爆発することも勉強会で聞いていた。

なので、タイマーのスイッチが押されてしまったと思った。

 

とりあえず、地域のみんなにふれてまわった。

お寺が2つの地域をまたいでいるので、それぞれの行政区長さんにのところに行き、

ことの重大さを説明したが、だれも聞く耳を持ってくれなかった。

 

「お坊さんがそんなにうろたえるな。みっともないから。」

「原発は絶対大丈夫だから。

 自分は日立につとめていて、原発にも行ったことあるから大丈夫」 

 

だと言われた。

 

自分は小さな子供をかかえているので、すぐ福井に避難した。

避難したのは、いいけど、自分はお寺をまかされていて、

なるべく地域の人たちとつながりを強くすることが自分の役割だと

思ってやっていたので、こういうことになったからといって、

ただ避難するわけにはいかない。

地域の人たちと話をして、地域の人たちが安全なところに

避難したりをサポートしたりしないとと思った。

そうしないと、自分自身が生きた心地がしない。

電話をかけると、まだ小高にいるという。

町は何も言わないからだと・・

翌日、爆発した後に町が避難指示をだしたけど、

でもみんなどこに行っていいかわからない状況だった。

 

家族と一緒に700キロ離れた福井にいたが、

状況が全くわからないし、電話で色々言っても何もならないので、

19日に戻った。

おっかないけど、線量計を借りて、風向きとか天候を

気にしながら相馬に向かった。

3マイクロシーベルトになったら引き返した方がいいと言われたが、

郡山に入ったとたん4マイクロあった。

3マイクロじゃなくて、30マイクロと聞き間違えていたに違いないと

いいように解釈しながら、避難所にたずねていった。

みんな、長袖をきて、マスクを二重か三重にして、一生懸命やっている。

こんなんじゃ、放射能は防げないよ・・と思った。

自分に対して、早く逃げてと不快な感じをだしてくる方もいるが、

全部受け止めようと思った。

 

2年間、家族で福井に避難していた。子供が4人いる。福井から

相馬に通っていた。

放射能のストレスの前に、心の健康がすごく害されていると感じていた。

非常に断腸の思いの決断だったが、妻と子供を妻の実家の

いわきに帰し、一緒に住むことにした。

 

それに伴い、いわきの妻の実家を増築した。

埋炭したり、太陽光パネルをつけたりいろいろ工夫した。

いわきに、これからの時代のモデルになるような拠点をつくりたいと思った。

それが生命エネルギーを高める、免疫力を高めることだと思うし、

自分が思う姿を具現化しようと思ってやっている。

 

今までの私たちの生活は、ボタン一つで電気がつく。

電気がつくのは、電力会社の人がメンテナンスしてくれてるから。

あたりまえのような話ですが、まきをたいて暖をとるには、

まきをとってきて割らないといけない。

全部自分ほとんどのところをまかなうのは大変。

でもそれを大変だと思うのか、あたりまえと思うのか。と思う。

 

大変だからだこそ、工夫する。

こういうふうにすると、ロスが少なくなるのかなとか・・

その工夫こそが人生を豊かに変えていけるものだと

そういう気持ちに切り替えていくことができることが

大きく自分がバージョンアップしていけることだと思う。

 

ちょっとした不具合、すぐに対応できなかったりする。

車もどうやって走るのかわからない。

車は故障しないものだと思ってるでしょ?

自分の車は天ぷら油で走る車。

たまに故障する。

バッテリーだってたまにメンテナンスしないと故障することがある。

真空管の給湯器だってたまにエラーがある。

何が悪いのか、すぐに対応できないのがまだ自分が力不足だなと思う。

 

ではいのちの話をしてほしいということだったので、したいと思います。

私が住んでいた南相馬小高は人口1万3000人いた。解除されてからは、

1700人くらい戻ってきたが、1650人くらいはお年寄り。

若い人ほとんどいない。

そういう状況にもかかわらず、学校を再開している。

小学校は全校生徒で40名弱。中学校もそれくらい。

高校は商業と工業高校があったが、合併して新しい学校になり700人

いる。その人たちは、電車やバスで通ってきている。

大人だって避難している町に、避難先から、もともとあったところに

子供達がわざわざ通ってきている。おかしな状況になっている。

たしかに、子供の声があるのはいい。

なつかしい、活気がもどってきた、元気もらえるとも思うが、

これでいいのかと思う。

子供を人質にとられているような気がしているように感じる。

 

賠償についても思うことがある。

でも、人が生きていく、何代も続いているということは、

伝統や文化が一緒に発酵してきたことだと思う。

失われそうなものにたいする賠償、目にはとらえられない賠償はほとんどない。

 

生活の保障として、すべての家とか仕事と、すべて失われた

保障で2000万円もらえる。

でも、農家さんにとっては、今まで見たこともさわったことないお金。

 

でも生活のすべてを失うわけですよ。

小高にいえば家や土地もある。だけど、

家だって7年もたてば、ねずみの死骸だらけでカビだらけ。

入れるもんじゃない。取り壊したかもしれない。

畑も草ぼうぼうで、草をかることはできても、つくることはできない。

そういう状況は心にはすごくよくない。

今までの人生が音をたててくずれていく。

逆に放射能で汚されていく。

なんとも表現しがたいそういう状況。

見たことのないお金だけにぎらされていく。

どうなっていくか。

心が非常にすさんでいく。

お金しか自分の自由になるものしかない。

そうすると、お酒の量がすすみ、心のバランスをくずして、

アル中になったりうつ病になったり、自死する人があとをたたない。

 

私は7年目に入っているのですが、

なんでこういうことになったか、を考えることが

仏教者として大事だと思っている。

こういうのを因縁という。原因があって、結果がある。

 

ものごとには必ず原因がある。

種をまいたから実る。その種はなんだったのか?

原因はどこにあるのか?考えるのが自分の大事な役目。

根底はやはり心。

根底には差別の心がありました。

 

この差別というのはどういう差別か。

 

持つもの、持たざるものという差別。

都会と田舎。という差別がある。

 

そのもっともっと根底にあるものをつきつめていくと、

私とあなた、日本と中国

そういう差別がある。

人間と自然という区別がある。

 

考え方として、なんでもかんでも分けてしまう。

この考え方自体がまちがいの根本で

今の社会をつくる根底にある。

それが戦争にしろ、エネルギーの問題にしろ、つくりだしている。

 

お釈迦様は空と言っている。

本当はもともと分かれていない。

 

これは、たとえていうと、海の波は、ひとつひとつ独立した波にみえるが、

たった1つの海としてつながっていく。

りんごというと、赤い実を想像するけど、お母さんである木の存在なしでは

りんごは存在しない。木が栄養素をとりこんで、

お日様のひかりや虫がよって受粉したりしてりんごになる。

 

われわれ人間も同じ。単体ではありえない。複雑な命の関わりの中で、

人間という立ち位置がはじめて存在する。

 

りんごでいう木の存在は、大きな大地、地球と例えられる。

この地球がなかったら、われわれは存在しない。そう考えると、

すべての生き物たちが、地球の子供であり、みんな兄弟である。

私たちや鳥や魚は役割はそれぞれ違う。

でもどちらの命が大事で、どちらの命をかろんじていいというのはばかげた話。

 

今の多くの人間は、人間の命が一番大事で、他の命は、人間をささえる命と

考えている。それは差別的な捉え方だと思う。

 

そういうことに気がついて、今、伝えているところ。

 

それをどうやって伝えるかなという方法論のなかで、考えられることは

なるべくやっていく。みけんにしわがよるやりかたはなるべくやめる。

楽しく伝えたいと思う。

ただ、本気で伝えている。命をかけているから。

 

相馬には、相馬野馬追というお祭りがある。

歴史が古く、平清盛のころから1000年くらい続いている。

相馬の人は侍の子孫が多い。

相馬は、お国替えがなくおよそ600年くらい続けている

だから当時の人が、そのまま土地を守っている。

25代とか続いている人もいる。

そういう人が家に伝わる鎧をきて、旗をかかげて、

集まってお祭りする。

 

昔は軍事訓練。今はお祭り。

相馬の人は何かがあると、旗をあげる。

 

旗をかかげるときは、戦闘モードにはいったとき。

それを言葉で伝えるのではなく、みんなに

感じてほしいと思った。

相馬野馬追の旗は様式がきまっている。

その様式で旗をつくった。

1つには、いのち、1つにはだいち、1つには愛、1つには感謝。と書いた。

 

それを東西南北にそれぞれかけて、自分の気持ちを表現している。

 

今、いわきから小高(お寺のある)まで、何もないときは毎日通っている。

片道1時間半。

往復で3時間、そんな生活を4年も過ごしている。

 

やっぱり正直なところくたびれている。

家庭も思うようにいかなくて、ギクシャクしている。

 

私は小高が生活の場になっていて、

小高にかえって、全力で1日のエネルギーを使う。

帰らなくてもいいかもしれないけど、いわきにかえる。

そうすると、疲れきってしまって人に優しくできない。

自分だけ小高にいて、家族と別々に暮らしたほうがいいのか・・

日々そんなことを悩みながら生活している。

それが6年3ヶ月たった率直な悩み。

 

まだまだどうしていいのかわからない。そんなところです。

まとまりのないところで終わるところが現状の自分を表して

いるのかもしれません。

 

ありがとうございました。